『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ

『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ

この本は2016年に韓国で発表されベストセラーになり、その後日本でも話題になった。自分はファッション誌など雑誌を滅多に買わないかわりに美容院では読むので、髪を切られながら雑誌で紹介されているのを見たし、Twitterでも流れてきた。2019年には映画化したらしい。そして、2021年になりやっと読んだ。

ソウルメイトが昨年夏に会ったとき、読んだ?と聞いてきたのを思い出し、図書館で借りた。はやく彼女に感想を伝えたい。

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82年生まれの韓国人女性が結婚し子どもを一人もって、精神科の患者になるまでの人生を回顧する内容である。女性が人生の中で対面する困難や差別が描かれている。

筑摩書房のサイトを見てみると、キム・ジヨンという名前は韓国の82年生まれに最も多い名前であるらしい。その仕掛けのとおり、ほとんどの人が経験した(あるいは見かけたこと)がある内容である。それは隣国の日本でも同様。

 

読んだ感想を簡単にまとめると、今まで感じてきたちょっとした不快な経験や「そういうものだ」と思っていたことの可笑しさが一気に襲い掛かってくるような感覚を味わった。

高校生のとき、生理中の自分が使った後のトイレの便器を見た父親が「ねえ、血が出てたみたいだけど、病気か?」と聞いてきたことを、ありありと思い出してしまった自分をコーヒーを飲んで落ち着けた。

学校生活、進路、男性からの嫌がらせ、就職、仕事、結婚、夫婦生活・・・とにかく、ほとんど全てにおいて”女性である”ことが関わる。結婚観や職業選択については、当時より状況は良くなっているものの、夫婦間での労働バランスなどはまだまだ難しい問題だ。

これを男性の知人たちに読んでもらったら、「だからってどうすればいいの?」という感想が聞けると予想しているが、どうでしょう?それから、母親がこれを読んで何を思うのか?

 

特に印象に残ったのは、キム・ジヨン氏の姉が、最初に志望していた大学ではなく、母親が勧める大学のほうに進路変更した場面だ。

母親は、悪化していく景気のなかで安定して働ける(そして女性でも子育てしながら働きやすい)教師になってほしいという思いと、自分のようになりたい職業を諦めないでやりたいことをやってほしいという思いをどちらももっており、結局教師になる道を選んだ娘を送り出して泣いた。

この母親の良いところは、娘たちへの態度が一貫しているところだと思う。長女にも、次女にも、やりたいことをやって自分で働けと言った。たとえ父親が、就職活動がうまくいかない娘に「このままおとなしくうちにいて、嫁にでも行け」と言ったとしても。

 

もう一つ印象に残っているのは、女性が出産・育児のための休暇や休業を取得することに関するジレンマだ。キム・ジヨン氏の初めての上司は、会社で唯一の女性課長で、出産後も一ヶ月で復帰して男性並みに働いていることを誇りとしていたが、出産や育児の会社の制度を使わなかったことで後輩の権利まで奪ってしまうことになったと申し訳なく思っている。

キム・ジヨン氏も後に妊娠したことで、出勤時刻を30分遅らせる制度を活用できたのだが、それを「30分の丸もうけ」と言った男性社員に腹を立て、制度を使わなかった。その選択も、制度があるのに制度を使えないような雰囲気に加担しているかもしれない。

 

上記の場面はごくごく一部分であり、「女性ばかりが!」とは言わないまでも、女性は様々な場面で葛藤やジレンマ、迷いに追われている。時には男性が、時には女性が、そのような女性たちをさらに追いつめている状況が発生している。

 

「だからってどうすればいいの?」という問いへの、自分なりの考えは以下の通りだ。

自分自身の経験上、迷ったり、罪悪感をもったり、先がわからない状況に置かれるというのは、非常に精神を摩耗することを知っている。ベストな答えをストレートに出せないとしても、女性たちの迷いや不安に寄り添うような態度をとることができたら良い。

また、女性が選択した答えについて、事情を知りもしないのに推測でものを言わないこと。結婚することも、子どもをもつことも、仕事をすることも、勉強することも、その理由やそれに至るまでの過程は様々なのだから。

 

著者のチョ・ナムジュさんと、大好きな『フィフティ・ピープル』の訳者でもある斎藤真理子さん、そして娘の進路にもあまり口出しせず見守ってくれている母親に最大限の感謝を込めて、未来への期待と少しの警戒心をもって今日も生きていこうと思う。