もういくつ寝ると

「つまらない」と感じるのは、お前がつまらない人間だからだ

と言う誰かの声が聞こえてくるような気がして、「つまらない」と口に出すのをためらってしまうが、それにしても毎日つまらない。ちょっと前までは、いつも少し先に何か楽しみがあって、それを励みに毎日を過ごしていたような気がするのに。悲しいことに毎日、1日がいつの間にか終わっている。1分、1秒、同じ間隔で過ぎているはずなのに、楽しみなことがあるとその日が来るのが遠くに感じられ、嫌なことはすぐやって来るように感じたのは、もう昔のことになってしまった。

 

「待ちに待った」の感覚を忘れかけていても、社会人の夏休みは近づいている。ありがたいことに自分の職場ではほぼ希望通り休みを取れるため、前々から会えそうなひとたちにアポをとっていた。友人たち、家族と会えるのはとても楽しみだけど、限られた時間を無駄にしたくないという緊張もある。

恋人は自分の実家の近くに来てくれるので、実家から電車で5分のところのホテルを予約した。そこはちょっとした観光地なのでホテルが沢山あり、たった1泊のためだけどホテル選びはなかなか楽しかった。なかなかお洒落なホテルを見つけることができた。

そういえば今の状況は少し可笑しくて、帰省なのに初めての家に帰る予定になっている。去年末にストーカーまがいのものに悩まされ、上司と警察のすすめで家族の安全のために実家も引っ越すことになったのだった(そういうことで、今はSNSやブログで居場所を発信することを控えている)。新しい場所の実家には、給付金で新調したソファがあるらしいので楽しみ。

 

こう考えると、楽しみ結構あるじゃないか。今はつまらないけど、もうひと踏ん張りがんばろう。

母と出掛けただけの思い出

地元から母がやって来た。犬を飼っているためなかなか簡単には来られなかったが、今回は家族と都合を合わせることができやっと実現した。2泊3日と余裕のある日程なのに、朝の9時半にこちらの空港へ到着する便を予約していたことから、彼女の張り切りぶりがうかがえた。

自分が今住んでいるところは、食ならお勧めがたくさんあるが、観光といえばこれといったものがない。行ったことがある場所と行ってみたかった初めての場所と、半々くらいで案内をした。

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今日もシャンプーを詰め替える

洗濯洗剤やらシャンプーやらの大容量の詰め替えを買うと、明日も数か月後も、自分が生きている前提で日々を暮らしていることを感じられて、「ああ、生きている」と強く思う。ところで、「今、自分が死んだら…。死んだとしても残念ではないし、なにも困らない」と今までに何回も考えたことがあった。特につらい目にあったわけでも世界に絶望したわけでもないけれど、そう考えていた。そういう人間が大容量の詰め替えをスーパーで買っていることが、面白いと思う。

 

昨日、日本の俳優がひとり亡くなった。人気俳優であったこと、突然の死であったこと、そして自殺だったことで、もちろん沢山の人がSNS上でも、それ以外の場でも反応していた。すべての反応を見ることは不可能だが、いくつかの反応を見ていて気になったものが、「見えないところでつらさを抱えていたんだな」という言葉。

本人はもう語らないので、その死に至った真相を我々が知ることはできないだろうが、なにかが相当つらかったから、自分で命を終わらせることを選んだのだろう。どんな人であっても(彼のように”順風満帆に見える人”でも)、つらさを抱えている。人がつらいと感じる程度にも差がある。あるものや状況が、Aという人にとってはネガティブなもの、Bという人にとってはそうでないもの(ときにポジティブなもの)になり得る。そいういうことを当たり前に考えていた自分は、一人の人間が自殺という行為をしたことで「つらさを抱えていたんだな」とコメントする人が多いことを、なにか残念に感じた。病気や自殺に至らなくても、みんなつらさを抱えている。その想像をいつも忘れないでいたい。しかしこの出来事が、多くの人がそのことに気づくきっかけになっているかもしれないとも思う。

 

昨日の出来事とは別に、自分に関してある事実や状況があって、それに対して「つらいね」と言われることにも違和感を抱く。自分の父親は病み行方不明になったが、そのことを人に話すということについては非常に慎重になる。父親についてのことは、年月が経って今は落ち着いている。「遠距離のパートナーがいる」とか「小学生の子どもがいる」とか、それくらいの状態に思っている。苦労しているんだね、と特別に重みのあるコメントをもらうと、そんなふうに思われるつもりではなかったと狼狽える。うまく説明できないが、本人を飛び越えて、つらさを測らないで欲しいということなのかもしれない。これは自分のなかで整理できていないので、また書くことがあるかもしれない。

 

わかっているのに忘れそうになる

今の職場で一緒に仕事をしている上司がクセの強い人で、わりとずっとその上司のことを考えてはモヤモヤイライラしている。その態度は職場でも隠しきれておらず、上長にやんわりと注意されるほどである。自分でももう少し穏やかな人間になりたい、余裕をもちたいと思いつつ、毎日イラつきを表に出してしまう日々。

おそらく、その上司に対しては期待してない心と期待している心を両方持ってしまっているから中途半端な期待を抱いてしまい、結局その期待通りにしてもらえないことで、エッ!どうして!?と焦ってしまうんだろうな。期待しないほうがいいんだろうか。

 

自分には東京にも関西にも九州にも知り合いがいて、いろんな境遇、業種の知人友人がいるはずなのにどんどん世界が、視野が狭まっている気がして、このままではマズい。そう思うのだったら積極的に連絡をとれよ、と自分でも思うし人にも言われると思うから他のSNSで言う気にもなれずここで吐き出している次第。今いる世界がすべてではないことを知っているだろう!わかっているはずなのに。

 

学生のとき最後の2年間ほど、アルバイトを掛け持ちして半々くらいで働いていた。なかなか大変だったけど、複数の世界を行ったり来たりする働き方は、けっこう自分に合っていたのかもと思っている。片方の職場でうまくいかなくても、その日のうちにもう一方の職場に移動すれば「こっちでうまくやればプラマイゼロ」と切り替えられたし、同業種だったけど2つの職場で評価基準が違うから過剰に「自分はできる/できない」と思いすぎることがないのもよかった。
 
いつもに増してとっ散らかった内容になってしまった。まあ頭のなかが散らかっているからしょうがない。

変わるとき

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今月から職場に新入社員がやって来て、ついに自分は新入社員というポジションから追い出されることになった。支店長と自分の組織長も最近交代があり、職場がバタバタとしている。それと、この数週間のうちに仕事でがんばりどころが何回かあって、それを迎える当日午前3時に目が覚めてしまってノートに考えをまとめだすということがあった。そういう緊張が続いたせいか、先週と今週での久しぶりの飲み会では、以前よりも酒のペースが早くなったような気がする。

私生活でもがんばりどころというか、今までの自分から変わらなければいけないことから、目を逸らすことができなくなった。変わらないと動けないし、動かないと変わらない。なんだかんだ、「いつもの」とか「ルーティン」が心地良く感じるほうの人間なんだなと感じる。

2週間前から育てているインドゴムノキ。梅雨のなかしばしばやって来る大雨に曝すのはかわいそうと思い、雨の日は部屋にあげている。(画像は、降り始めてしばらくしてから雨に気づいたとき。)最初の1週間は育っているように感じられなくて、フェイクなんじゃないかと疑うくらいだったものが、急に一部分を伸ばし始めて1日ごとに目に見えて変化がわかるようになった。夏は植物を育てる。暑い夏は季節のなかでいちばん苦手だけど、少しの楽しみができた。

ピンクの葉のインドゴムノキ

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植物を家に置きたいと思ってたんだけど、育てるのに自信がないから躊躇っていた。フェイクグリーンはこのあいだ買った。だけど今日の仕事中に買おう!と意思が固まって、さっそく連れ帰ってきた。

ピンク色が混ざっている葉のインドゴムノキ。どれくらい大きくなるのか楽しみだな。これからよろしくね。

結婚式に魅力を感じないわけを考えた

実家から持ち出してきた本のなかの一冊『断片的なものの社会学』(岸政彦)を読んでいると、彼らは無意味な儀式が嫌いという理由で結婚式を挙げなかったとあった。

自分も前々から結婚式は挙げたくないと思っていたので、その考えについて改めて思いを巡らせていたところで、恋人から電話がかかってきて第一声が「結婚したら、すごく小規模でいいから結婚式を挙げたいな」だったため、動揺した。最近この話題が出たからというわけではなく、ほんとうに偶然だった。

 

結婚式を挙げたくない理由は、いくつかある。

まず、自分たち2人のために親戚友人らを呼んで式を挙げるということについて、あまり気が進まない。皆さんの貴重な時間をわたくしめのために…。目立ったりパフォーマンスをするのは嫌いではないけど、ずっと自分に注目が集まるのがとても疲れそうだし、恥ずかしい。自分の両親はかつて結婚式を挙げたそうだが、どうしてその時間と空間に耐えられたのか不思議。

結婚式が、2人の過去を振り返る場であることも嫌な要素だ。基本的に自分は今の自分が好きで、過去の自分が好きにはなれないのでそれを皆さまに見せつけたくない。つまらないものを見せてすみませんね、という気持ちになってしまいそう。幼稚園~小学校低学年のときは友人よりも背が高く体格がしっかりしすぎていた自分が映っていた写真はぜったいに誰にも見せたくない。

金銭面もネックだ。小規模なものでも100万円近くになるのでしょう。そんなお金があるならいい家具を買って長年大事に使うほうが有意義であるように感じてしまう。

自分の家族が、「絶対に結婚式を挙げるべきだ」という考えをもっていないことも少なからず影響しているとは思う。「挙げるのが普通」だとか「式を楽しみにしているね」なんて言われていたら、また違う考えをもっていたかも。

 

とはいえ、自分は着飾ったらそれなりになると思うので、その姿を親族に見せることができる場になるのは、いいと思う。それから、結婚というのは結婚する2人だけのイベントではなく、両方の”家”が大きく関わるものだということは学生時代に何度も何度も何度も聞いてきたし話してきた。(社会学専攻)相手サイドの家族が強く式を望むのであれば、折れて挙げてしまうことがあるかもしれない。そしてこれはすこし望んでいることなのだけど、もし「結婚式っていいなあ」と感じるような式に参加したら、結婚式を挙げたい気持ちも少しは生まれるかもしれない。友人の皆さま、是非よろしくお願いします。