ゆっくり食べる

新米会社員の生活と備忘録

今日もシャンプーを詰め替える

洗濯洗剤やらシャンプーやらの大容量の詰め替えを買うと、数か月後の自分も生きている前提で日々を暮らしていることを感じられて、「ああ、生きている」と強く思う。ところで、「今、自分が死んだら…。死んだとしても残念ではないし、なにも困らない」と今までに何回も考えたことがあった。特につらい目にあったわけでも世界に絶望したわけでもないけれど、そう考えていた。そういう人間が大容量の詰め替えをスーパーで買っていることが、面白いと思う。

 

昨日、日本の俳優がひとり亡くなった。人気俳優であったこと、突然の死であったこと、そして自殺だったことで、もちろん沢山の人がSNS上でも、それ以外の場でも反応していた。すべての反応を見ることは不可能だが、いくつかの反応を見ていて気になったものが、「見えないところでつらさを抱えていたんだな」という言葉。

本人はもう語らないのでその真相を我々が知ることはできないだろうが、なにかが相当つらかったから、自分で命を終わらせることを選んだのだろう。どんな人であっても(彼のように”順風満帆に見える人”でも)、つらさを抱えている。人がつらいと感じる程度にも差がある。あるものや状況が、Aという人にとってはネガティブなもの、Bという人にとってはそうでないもの(ときにポジティブなもの)になり得る。そいういうことを当たり前に考えていた自分は、一人の人間が自殺という行為をしたことで「つらさを抱えていたんだな」とコメントする人が多いことを、なにか残念に感じた。病気や自殺に至らなくても、みんなつらさを抱えている。その想像をいつも忘れないでいたい。しかしこの出来事が、多くの人がそのことに気づくきっかけになっているかもしれないとも思う。

 

昨日の出来事とは別に、自分に関してある事実や状況があって、それに対して「つらいね」と言われることにも違和感を抱く。自分の父親は精神病になり自殺したが、そのことを人に話すということについては非常に慎重になる。父親についてのことは、年月が経って今は落ち着いている。「遠距離のパートナーがいる」とか「小学生の子どもがいる」とか、それくらいの状態に思っている。苦労しているんだね、と特別に重みのあるコメントをもらうと、そんなふうに思われるつもりではなかったと狼狽える。うまく説明できないが、本人を飛び越えて、つらさを測らないで欲しいということなのかもしれない。これは自分のなかで整理できていないので、また書くことがあるかもしれない。