通じ合いを見直した期間

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もう6月も半ば。緊急事態宣言はとうに解除されたものの、まだ各地で感染者は出ている状態で、みな少しずつ様子をみながら元の生活ややりたかったことを取り戻しつつある。4、5月は、いわゆる自粛期間だった。6月の今から振り返るとあっという間で、自分は何をしていたのか思い出すのが難しくなってきている。でもたしかに毎日生活して、笑ったり泣いたりしていた。

人と会うことは減ったけど、連絡はとれるので日々なにかしらのことで人とコミュニケーションしている。そんなの当たり前だと思う方もいらっしゃるだろうが、誰ともコミュニケーションしない生活を送ってしまうことが容易に、無意識にできてしまうのであえて。

 

3月、母の誕生日に合わせてバースデーカードを送った。去年は本当に心配と迷惑をかけたので謝ることと、社会人として働き稼ぐことの大変さを思い知り今までの感謝を伝えたくて丁寧に書いた。恥ずかしながら、同じ家に暮らして日々対面していてはなかなか素直に「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えない人間なので、遠距離で暮らし会うことが稀となったタイミングを利用させてもらった。それ以降、なんだかお互い連絡をする頻度が高くなったような気がする。頻度というか、思いやりをより感じるようになったというか。ついには、母が自分の住んでいるところへ遊びにくることになった。前は犬を飼っているから行けないと何度も言っていたのに。

「あなたの声を聞くと癒されて落ち着く」と、ある人に言われてとても嬉しかった。よく電話するということは、そういうことなんだろうとはわかるけど、言葉にして伝えられるとしみじみ嬉しい気持ちになってもっと相手に何ができるか考える。感謝とか思いやりは、もちろんいつも持っているはずだけどやっぱり改めて相手に伝えると、受け取ったほうもヨッシャという気持ちになる。

人とのコミュニケーションについてポジティブな面を知った一方で、自分が反省すべき点もまた思い知った。話すことは好きだけど聞くことは苦手で、相手に合わせて説明をするのも上手くない。とにかく、自分が話したいときに話したいことを話す。これじゃあ、幼稚園児があったこと感じたことをワーワー話すのと同じじゃないか。

とくに説明が上手くないというのは、これまでの人生のなかでけっこうな人を傷つけることになったのではないかと思っている。自分としては色々考えた上で行動したり、考えすぎてなかなか行動に移せなかったりすることがあるけど、それを説明しないでいたら、相手にとっては何故?突然に?と感じるのも無理はない。それで納得されないままに「もういいよ」となる。この数ヶ月間でも、何回かそれをやってしまったがこれからは避けたい。

“自粛期間”では、人との関わり方がこれまでと変わり、通じ合うことの貴重さをより一層感じられたからこそ、今までの自分を静かに見直す機会を得られたような気がする。