誕生日の過ごし方

誕生日だった。

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△自分で夏用のアイシャドウを買った。

 

今はどのSNSにも誕生日を登録できて、日が近づくと本人が宣伝しなくとも勝手に、みんなにお知らせが届く。だから、友人知人の誕生日を覚えたり手帳に書き込むなんてことをしなくても、SNSの誕生日リマインド機能があればタイミングよく互いを祝うことができる。そういう仕組みがある。でも、自分の図らないところで自分の誕生日が知らされていることになんとなく違和感があり、自分の場合はすべて”オフ”設定だ。

とはいえ、誕生日をきっかけに連絡を取るのは好きだし、大事にしたいと思う。昨日も会って明日も会えるような学生のときとは違って、今は連絡を取ろうと思わなければほとんど交流はない。しかも今は感染防止で誰にも会えない状況にあるということで、人との繋がりに飢えている。そういうことで、今年も何人かがメッセージを送ってくれて、ジーンと嬉しくなった。ある友人は、ギターを弾いて曲を贈ってくれた。またある友人は、2時間30分も通話に付き合ってくれて大笑いした。会社の元上司のおじいちゃんは、彼のサングラス姿の画像を送ってくれた...(笑)毎年毎年、ぼうっとしてても必ずやってくる誕生日だけど、同じ日はないのだと思うと面白い。

時間もたっぷりあることだし、これまでの誕生日を振り返ろうと思う。これは自分の記憶の記録なので、もしかしたら事実とは違うこともあるかもしれないが…。

 

  • 1、2歳:覚えていない。だけど妹が生まれる前だから、まだ「一人娘」として過ごした誕生日
  • 3歳:バースデーケーキと写っている写真があった。手作りのホールケーキだった。
  • 4~6歳:覚えていない。おジャ魔女どれみのおもちゃを買ってもらっていた可能性が高い。
  • 小学生:正確には覚えていないけど、低学年のときは誕生日プレゼントにはプリキュアのおもちゃを買ってもらったような気がする。3年生くらいからは、友人同士でプレゼントを贈り合うようにもなった。みんな同じ店で、似たようなプレゼントを買っていた。絵が上手い友人は絵を贈ってくれたのが嬉しかった。
  • 中学生:ホールケーキを買うことは無くなった。ケーキ屋で4種類のケーキをピースで買ってもらい、家族で食べた。
  • 高校生:同級生はみんな互いに誕生日を覚えていて、廊下を歩けば「おめでとう!」と声をかけてもらったのが嬉しかった。4月下旬~5月中旬にかけて誕生日を迎える同級生が多く、その中んの1人として覚えてもらっていたのかもしれない。17歳の誕生日は稀に見る最悪な誕生日だった。4月頃から尻の痛みがあり両親にも伝えていたが5月になり耐え難い痛みになったため、午前の授業を休んで肛門科へ行くことになった。先生が操作するPC画面に、受付で伝えた自分の情報が映ったのだが、生年月日の横に「お誕生日おめでとうございます!」と表示されていたことがなんとも渋い記憶だ。結果は単に痔だった。診察を終えてフラフラと歩きながら、嫌味なほどに気持ちよく晴れていた平日の昼間に学校に向かった。そういう日だった。
  • 大学生:19歳は、あまり覚えていない。20歳のときは、同じ授業を受けていた友人が、ケーキとポスター(たくさんの自分の画像と、「ハタチおめでとう」のメッセージを合成したもの)をくれた。21歳、22歳は当時の彼氏と過ごした。どこかへ出掛け、ちょっと洒落たレストランを予約してもらって、バースデープレートが来た。
  • 23歳:当時の彼氏と前日から旅行していた。夜になり「疲れたから寝る」と言ったら相手が怒ってしまい、怒りのためか浴室で壁を殴っていた。その後は口をきいてもらえず、誕生日になる0時の前に相手は部屋から出ていってしまった。そういう日だった。

 

自分で振り返ったものの、悪い意味の「忘れられない日」はあれど、良い「忘れられない日」は、ほぼ無いか…。誕生日を特別に思い過ぎない方がいいな、こりゃあ。